指揮者

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指揮者(しきしゃ)とは、演奏の中で音楽の表現のコントロールを専門に行う人のことである。指揮の技法や歴史については、指揮の項目を参照のこと。

指揮者の役割[編集]

指揮者は、主にオーケストラ吹奏楽合唱ビッグバンド等で、各パートの演奏をまとめるために存在する。小編成のアンサンブルでは、演奏者たちが同じ拍子で演奏し、音楽的表現についても話し合いや、リーダーを兼ねる奏者の率先で改善していくことが可能なので、現代音楽以外では指揮者をたてないことが普通である。

また、指揮者はクラシック音楽のみに存在すると誤解されることが多いが、ポピュラー音楽でもイージーリスニングのように大編成のオーケストラを伴う場合は指揮者を必要とする。

一般的に、演奏会メトロノームとバランス調整等の役割をするのが指揮者だと考えられがちだが、実際は指揮者の役割はそれだけにとどまらない。

指揮者の作業のうち、もっとも時間と労力を要するのは、練習前の予習と言われる。指揮をする楽曲のスコア、関連する音楽史上の文献などを読んで構造などを把握し、表情づけの方法などを検討し、練習の手順を計画する。練習に際しては、音楽的表現全体を考えて音程・音量・音色・奏法や歌唱法・パートの音量バランス・テンポ等を指導し、ミスやずれを修正して、演奏の完成度を上げていく。そして演奏会本番でそれをまとめ上げるのが指揮者である。その他にも選曲や人間関係の問題解決等をおこなうなど、非常に重要な役割である。

クラシック音楽では、指揮者は尊敬を込めてマエストロ(元々の語源は経験を積んだ専門家の敬称)と呼ばれることもある。また、専任の場合は常任指揮者、演奏会やツアーのために呼ばれた場合は客演指揮者と呼ばれる。オーケストラオペラ団の方針に影響を与える常任指揮者は、音楽監督を兼任することもある。

現代音楽の中での指揮者[編集]

指揮者の役割は、前項のごとく重要でありながら、彼自らは音を出さない存在であるがゆえに、楽譜の上では長い間「無視」されてきた。指揮者の急病や負傷で、あるいは指揮者が亡くなった際の追悼のために、指揮者なしで管弦楽曲が演奏されることが見られるが、このことからもわかるとおり、クラシック音楽の多くの作品において、指揮者は「絶対に必要な存在」というわけではないのである。

しかしながら、近年では、指揮者の存在を楽譜に明示し、彼に音楽をまとめる以上(または、以外)の役割を与える作品も登場している。たとえば、指揮者の身振りに具体的な指示を与えたり、指揮者自身が発声、ないしは楽器を鳴らすといったことである。具体的な例は以下の通り。

  • マウリツィオ・カーゲル「フィナーレ」 - 指揮者が演奏途中で倒れるように指示されている。
  • ディーター・シュネーベル「ノスタルジー」 - 一人の指揮者(楽器奏者がいない)のための作品。彼の身振りによる視覚的要素を強調したものである。
  • 湯浅譲二「問い」 - 指揮者が聴衆に向かって語る。
  • 権代敦彦「Agnus Dei/Anus Mundi I」 - 指揮者がホイッスルを鳴らす。

北方寛丈と菅原拓馬による、「コラーゲンII~2人の指揮者による」も参照。

指揮者の養成[編集]

19世紀半ば以降、指揮者の専門職化が進んだ。現在では、音楽大学の指揮科で養成されることが多い。しかし、歴史的にみると、指揮者は専門職ではなく、楽団のリーダーである楽器奏者や声楽家、作曲家などが、まとめ役として担っていたポジションである。そのため、現在でも、クア・オーケストラのように指揮を専門としない音楽家が指揮をすることもしばしば行われている。また、後述のように、専ら指揮者として活躍する音楽家の中に、器楽奏者、声楽家、作曲家などから転身した者も少なくない。前者の場合、指揮の技術の稚拙さが問題となる場合もしばしばみられるが、いずれの場合でも、コンサートの付加価値としての指揮者の役割は大きい。特殊な例では、政治家(英国エドワード・ヒース元首相など)や会社社長(ソニー大賀典雄など。ただし大賀はもともと声楽家であり、正規の音楽教育を受けている)、著名な音楽評論家が指揮台に立つ例もある。特にヘルベルト・フォン・カラヤン以来、指揮者のタレント化も進み、まるで外交官のように世界中を飛び回る指揮者も少なくなく、ギャラの高額化が問題となりつつある。

その一方、指揮者が必要とする能力として、基本的な指揮の技術だけではなく、一人前の指揮者として活動するためには、複雑なスコアを読解する読譜力(それを実際にピアノで弾ける事)、対位法和声学楽式論編曲などの音楽学の豊かな知識、様々な楽器やその奏法(特に特殊奏法の奏者への伝達)、また声楽特に発声法の知識、その其の歌詩への語学の知識、合理的な合奏法(プローベ・テクニック)、演奏の状況を瞬時に判断できる良い耳(これには絶対音感でも高さの調節・バランス・音色・リズム感など)、世界中のオーケストラに直接に対応できる為の数ヵ国語の語学力、音楽史、音楽美学の知識などが必要である。

また、一般的には、指揮の練習や楽曲の予習(特に新曲の初演)にはピアノなどの鍵盤楽器を使うので、ピアノを演奏する能力が非常に高いことが望ましく(コリン・デイヴィスは、ピアノ演奏が不得意だったため、王立音楽アカデミー在学中に指揮の講座を受けることを禁じられていた)、ブルーノ・ワルターダニエル・バレンボイムクリストフ・エッシェンバッハのようにピアニストとしてデビューし、後に指揮者に転じた者も多い。また、他の楽器についても演奏経験があれば、役に立つ。アルトゥーロ・トスカニーニスカラ座のチェロ奏者)やシャルル・ミュンシュライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のヴァイオリン奏者、コンサート・マスター)、ルドルフ・ケンペチューリヒ・トーンハレ管弦楽団のオーボエ奏者)、ネヴィル・マリナーフィルハーモニア管弦楽団のヴァイオリン奏者)など、過去の大指揮者達の中にはキャリアを楽器奏者から始めた者も少なくない。

また、特に現在では、さまざまな地域で作曲された楽曲を演奏し、さまざまな国の楽団を指揮する機会が大幅に増えており、スコアの其の原語での読み込みを初め、リハーサルで細かなニュアンスを伝えるためには、英語フランス語ドイツ語イタリア語ロシア語など、複数の外国語の能力も指揮者には欠かせなくなってきている。他にも、楽曲の作曲背景を知るためや、興行的な成功のため、文学・美術学・歴史学・政治学経済学等の教養もあるべきとする者もいる。20世紀前半の大指揮者達には文学者などとも交流を持ち、音楽以外のことにも通暁した教養人が多かった。

このように幅広い知識、能力が必要な上に、最終的には大勢の人間に自らの意思を伝え、音楽的表現を作り上げていく能力がきわめて重要であることから、指揮者となるためには実践的訓練が重要となる。例えばウィーンの音楽大学ではほぼ毎日、午前中はピアノを用いた指揮法のレッスンと楽曲分析(アナリーゼ)の授業、午後は実際に学生オーケストラを振らせるといった教育システムが取られている。

また、音楽学校で系統的に教わる技術よりも、著名な指揮者のマスタークラスや公開レッスンで指導を受けたり、プロの楽団の練習(プローベ)を見学することのほうが、実践的な勉強になることも多いようだ。実際、このような勉強方法を制度的に支えるものとして、練習段階の指揮を行ったりして指揮者の助手を務める副指揮者の制度や、公開リハーサルなどもある。

ともあれ、以上のような数多くの知識、能力、そしてそのための絶え間ない訓練を要求されるという点、そして、限られたポストをめぐって他者と争わなければならない点から、指揮者になるにはとても難しいといわれる。しかしながら、これは一面的な見方であるともいえよう。ポストがなければ自分で用意するという方法もあるからである。たとえば、資産家の息子であり、学校で正規の音楽教育を受けたわけではなかったトーマス・ビーチャムの場合、自分の財産でロンドン市内に次々と3つのオーケストラを作って、それらの指揮者となった。現在のロンドン・フィルハーモニー管弦楽団ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団などがそれに当たる。

指導者[編集]

有力な指揮者との師弟関係により、その指揮者の流儀が継承されることがしばしばある。グスタフ・マーラーの教えを受けたブルーノ・ワルターオットー・クレンペラーの例、リヒャルト・シュトラウスに学んだカール・ベームジョージ・セル、およびレナード・バーンスタインに師事した小澤征爾佐渡裕などが好例といえる。

社会整備[編集]

指揮者の育成には、国家的な法整備・助成制度も不可欠とされる。例えばフィンランドスイスオーストリアでは、年金税金奨学金プロモーションなどによる、自国の芸術家の保護政策が取られており、ドイツの文化局でも、採算を重視せずに事業を行えるような補助金配分、経営よりも才能育成を重視した無料の音楽大学の設置などがみられる。

さらには、社会的な整備として、ラジオテレビなどを通じた音楽放送の普及・多様化、廉価な入場料の演奏会の開催、育成基金財団、音楽プロダクションの充実、オーケストラのパート譜まで貸し出す音楽図書館の充実なども重要である。

指揮者一覧[編集]

クラシック音楽以外

クラシック音楽の指揮者はクラシック音楽の指揮者一覧を参照。

関連項目[編集]

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