河島博

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河島博(かわしま ひろし、1930年12月5日 - 2007年4月6日)は日本の経営者。日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ株式会社)の第5代社長。株式会社ダイエーの元副社長、元副会長。

経歴[編集]

静岡県浜松市に1930年生まれる。1951年3月、名古屋経済専門学校(現名古屋大学経済学部)卒業。1951年4月、日本楽器製造に入社。1966年取締役、1974年常務、1976年専務を歴任。1977年1月、46歳の若さで日本楽器製造の第5代社長に就任し、過去最高の経常利益を達成する。1980年6月、会長であった息子に跡を継がせたいと考えていたワンマン経営者の川上源一により取締役会で突然に解任される。ダイエーの会長であった中内功は河島を三顧の礼で迎え、1982年、河島はダイエーの副社長に就任した。河島はダイエーのV字改革を進め、副社長就任後のダイエーの業績は1981年が▲119億円、1982年に▲88億円の赤字であったが、1983年には黒字となりV字回復を成功させた。中内は河島中心の会社になることを恐れ、V字回復ができると用済みとなった河島は解任され、中内功は長男の中内潤を副社長に抜擢した。1987年、中内氏が事業家管財人をしていたリッカーの管財人社長に就任する。1989年、ダイエー副会長に就任。1997年、ダイエー副会長を退任。

2007年4月6日、肝不全のため死去。享年76歳。

人物[編集]

  • 河島博退任後のヤマハでは川上源一の息子の川上浩が41歳で社長に就いたが、その後は業績が低迷し、労働組合から直接的に社長退任を申し入れる事態になり、川上浩は1991年に引退に追い込まれた。

参考文献[編集]

加藤仁(2006)『社長の椅子が泣いている』,講談社