「拾ヶ堰」の版間の差分

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2021年9月8日 (水) 13:56時点における版

テンプレート:河川情報 拾ヶ堰(じっかせぎ)は、安曇野を流れる灌漑用に作られた用水路)である。この堰は、奈良井川松本市島内)から取水し、梓川を横断し、更に大屈曲しながら、烏川安曇野市穂高)にいたる約12kmの用水路で、安曇野における最も大規模な用水路である。疏水百選にも選ばれている。

安曇野は、扇状地であるため地下に水がしみ込んでしまう乏水地域である。そのため安曇野は古くから農業用水に恵まれず、柏原村、吉野村の庄屋などが拾ヶ堰の開削を計画ししたものである。

江戸時代の成相町村・吉野村・新田町村(以上、安曇野市豊科)、上堀金村・下堀金村(以上、安曇野市堀金)、柏原村・矢原村・保高村・保高町村・等々力町村(以上、安曇野市穂高)の諸村を灌漑する旧拾ヶ村の組合堰である。

歴史

  • 1816(文化13)年:3月から6月にかけて開削
  • 1817(文化14)年:拾ヶ堰が開削される。

開削功労者

計画・測量
中島輪兵衛(柏原村元庄屋)
平倉六郎右衛門 (下堀金村)
実務担当・協力
等々力孫右衛門(保高組大庄屋)
等々力孫一郎(保高組大庄屋(孫右衛門の養子))
岡村勘兵衛(吉野村庄屋)
白澤民右衛門(等々力町村庄屋)
関与一右衛門(柏原村庄屋)

主な灌漑地域

穂高本郷・柏原全域・上堀・下堀

特徴

  • 拾ヶ堰は標高570mの等高線に沿って流がれる横堰(よこせぎ)である。奈良井川の取水口から終点の烏川までの傾斜は約3パーミルで標高差はわずか約5m。水がゆっくりと流れるのが横堰の特徴で、押水(おしみず)という。
  • 同じ標高を通すため、水準器(開発当時は、木製の素朴なものであった)による測量で開削された。
  • 拾ヶ堰に架かる橋を見ると「十ヶ堰」と書かれているところもある。また、「拾箇堰」、「十箇堰」などと表記する場合もある。
  • サイフォンにより、ラーラ松本付近で梓川の下を潜っている。昔は梓川を横堀で横断していたが、悪天候などで度々流されることもしばしばあった。大正時代、サイフォンが梓川に埋められ、現在のサイフォンが整備されたのは平成のことである。

川沿の自治体

外部リンク

関連項目

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