「内閣総理大臣」の版間の差分

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'''内閣総理大臣''' (ないかくそうりだいじん) は、[[日本]]の[[行政府]]である[[内閣]]の長の官職名である。'''総理大臣'''または'''総理'''と略され、'''[[首相]]'''とも通称される。また総理大臣に妻がいる場合、その女性は[[ファーストレディ|ファーストレディー]]と呼ばれる。
 
'''内閣総理大臣''' (ないかくそうりだいじん) は、[[日本]]の[[行政府]]である[[内閣]]の長の官職名である。'''総理大臣'''または'''総理'''と略され、'''[[首相]]'''とも通称される。また総理大臣に妻がいる場合、その女性は[[ファーストレディ|ファーストレディー]]と呼ばれる。

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[[画像:Itô Hirobumi.jpg|150px|thumb|初代内閣総理大臣<br/>[[伊藤博文]]]] [[画像:Yasuo Fukuda at fundraising October 2004 cropped.jpg|150px|thumb|第91代内閣総理大臣<br/>[[福田康夫]]]] '''内閣総理大臣''' (ないかくそうりだいじん) は、[[日本]]の[[行政府]]である[[内閣]]の長の官職名である。'''総理大臣'''または'''総理'''と略され、'''[[首相]]'''とも通称される。また総理大臣に妻がいる場合、その女性は[[ファーストレディ|ファーストレディー]]と呼ばれる。 == 歴史 == 明治維新以降、日本の政治は[[五箇条の御誓文]]に示された「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」の方針を実現するために設けられた[[太政官|太政官制度]]によって行われてきた。しかし[[奈良時代]]から続くこの政体は古色蒼然としていて新時代にはそぐわないものであったばかりか、制度面においても、[[天皇]]を[[輔弼]]するのは[[太政大臣]]・[[左大臣]]・[[右大臣]]であり、これによって「指揮」される[[参議]]と各省の[[卿]]には輔弼責任がない、また太政大臣が極度に多忙なかたわら左右大臣の職責は不明瞭という、迂遠かつ非効率なものであった。 [[1881年]] (明治14年) ごろから参議[[伊藤博文]]はこの太政官制の改革を試みはじめたが、これに対して保守派の太政大臣[[三條實美]]らは右大臣に伊藤を充てるという人事改革案で応酬した。しかし伊藤はこれを丁重に断り、代わって[[黒田清隆]]を推したが、こんどは酒乱の気がある黒田に保守派が尻込み、結局この「改革合戦」は引き分けに終わった。 翌[[1882年]] (明治15年) 3月から伊藤は、[[伊東巳代治]]、[[西園寺公望]]らとともに渡欧し、[[ドイツ]]、[[オーストリア]]、[[イギリス]]などで憲法の調査に当たったが、この時から「文明諸国と同等の政府」の骨格が具体的に構築されていく。 「憲法調査」のための渡欧から帰国した伊藤らがまず押し進めたのは、憲法ではなく、内閣制度だった。「君主立憲政体なれば、君位君権は立法の上に居らざる可からずと云の意なり。故に、憲法を立て立法行政の両権を並立せしめ (立法議政府、行政宰相府) 恰も人体にして意想と行為あるが如くならしめざる可からずと云」という伊藤の語録にあるように、憲法とセットにして近代的[[内閣|内閣制度]]をつきつけられては、保守派も反対の名目がない。伊藤の作戦勝ちであった。 [[1885年]] (明治18年) [[12月22日]]、太政官達第69号で (1) 太政大臣、左右大臣、参議及び各省卿の職制を廃し、新たに内閣総理大臣、並びに[[宮内省|宮内]]、[[外務省|外務]]、[[内務省 (日本)|内務]]、[[大蔵省|大蔵]]、[[陸軍省|陸軍]]、[[海軍省|海軍]]、[[司法省|司法]]、[[文部省|文部]]、[[農商務省 (日本)|農商務]]及び[[逓信省|逓信]]の各大臣を置くこと、(2) 内閣総理大臣及び各大臣 (宮内大臣を除く) をもって[[内閣]]を組織すること、が定められ、ここに内閣制度が始まった。 このとき同時に定められた内閣職権によって、内閣総理大臣には「各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承テ大政ノ方向ヲ指示シ行政各部ヲ統督ス」(2条) と、形の上では強力な権限を与えられていた。しかし[[1889年]] (明治22年) に[[大日本帝国憲法]]が発布されると、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(55条1項) との定めから、行政権は形式上各国務大臣の輔弼により天皇が自ら行うものとされ、内閣は各大臣の協議と意思統一のための組織体と位置づけられた。これを受けて、同年[[12月24日]]に公布された、[[内閣官制]]により、「内閣総理大臣ハ各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承ケテ行政各部ノ統一ヲ保持ス」(2条) と、その権限は弱められ、その結果「首班」とは「同輩中の首席([[ラテン語]]:PRIMUS INTER PARES)」を意味するものと解釈されることになった。 [[1946年]] (昭和21年) [[11月3日]]に公布された[[日本国憲法]]には、「内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する」(66条1項) とあり、これにともない翌[[1947年]] (昭和22年) [[1月16日]]に施行された[[内閣法]]にでは「内閣総理大臣は、[[閣議]]にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する」(第6条) など、その権限は大幅に強化された。これらの改革は、旧憲法下における内閣総理大臣の権限が極めて弱かったために軍部の独走を許したことを反省したものである。 [[画像:Kinmochi Saionji.jpg|150px|thumb|<br/>[[西園寺公望]] 第二次西園寺内閣での上原勇作陸相単独辞職による内閣総辞職 (本文解説参照) は内閣「毒殺」と呼ばれた]] 旧憲法下の内閣総理大臣は、それぞれが天皇に対して輔弼の責任を負う各国務大臣の「首班」という位置づけでしかなかった。したがっていったん閣内に意見の不一致が起こると、内閣総理大臣にできることといえば反対派を説得することぐらいのもので、これが失敗すれば[[内閣総辞職]]するしかなかったのである。これを利用したのが[[大日本帝国陸軍|陸軍]]だった。「陸海大臣に任じられるものは現役の大将中将に限る」という[[軍部大臣現役武官制]]をテコに、内閣が軍部の意に沿わない場合、[[陸軍大臣]]は単独で天皇に辞表を提出して辞めてしまい、陸軍は後任の陸軍大臣を推薦しないのである。陸軍大臣を欠いては内閣は存続し得ないので、時の内閣総理大臣は総辞職するしかなかった。 新憲法下の内閣総理大臣は、閣内に意見の不一致が起こった場合は、反対派に辞職を迫るか[[罷免]]して自らの意見を通すことができる。また何らかの理由で大臣が突然辞職しても、内閣総理大臣はその後任を意のままに任命することができる。この顕著な例が[[衆議院解散|解散権]]である。憲法上、[[衆議院]]の解散は内閣の助言と承認により天皇が行うことになっているが (7条3号)、これはつまり「解散権は内閣に属す」ということであり、「閣議決定なしには解散はできない」ということである。しかし一般には「解散権は内閣総理大臣の専権」だと解釈されている。これは解散に反対して閣議書への署名を拒否する大臣がいたとしても、内閣総理大臣はその大臣を罷免したうえで自らが兼務して閣議書へ署名することができるからである。仮に全閣僚が反対したとしても、内閣総理大臣は全ての大臣を罷免・兼務してでも解散を閣議決定できる。したがって内閣総理大臣が解散を行うと決めた場合、これを阻止する手だては法令上はないのである。このように大臣に対する任意の罷免権の効果は極めて大きい。 == 職務 == [[画像:歴代首相の花押一覧 (初代から44代まで).png|thumb|right|400px|歴代内閣総理大臣の花押(初代から44代まで)。閣議で作成される文書には、署名の代わりに[[花押]]が用いられる。]] [[日本国憲法]]と現行の[[内閣法]]が規定する内閣総理大臣の地位は次の通り。 '''地位''' * 行政権は、内閣に属する([[日本国憲法第65条|憲法65条]])。 * 内閣は、法律 (内閣法) の定めるところにより、その[[首長]]たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する([[日本国憲法第66条|憲法66条1項]])。 内閣総理大臣は「行政府の首長」と位置づけられている。 '''資格''' * 内閣総理大臣その他の国務大臣は、[[文民]]でなければならない([[日本国憲法第66条|憲法66条2項]])。 * 内閣総理大臣は、[[国会議員]]の中から[[国会]]の議決([[内閣総理大臣指名選挙|首班指名]])でこれを指名する([[日本国憲法第67条|憲法67条1項]])。 * 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する([[日本国憲法第6条|憲法6条1項]])。 内閣総理大臣の資格は、文民であり、国会議員であること、この2点のみである。ただし実際には、[[衆議院]]において最大勢力を占める[[政党]]の[[党首]]、または[[連立]]を組む複数の党のいずれかの党首がその責に任じる。また国会議員として首班指名を受け続ける限り、内閣総理大臣の再選に制限はない(ただし実際には内閣総理大臣の所属する党の党首としての任期が内閣総理大臣の任期となる)。 '''代理''' * 内閣総理大臣が欠けたとき、または[[衆議院総選挙]]の後に初めて国会の召集があったときは、内閣は、総辞職しなければならない([[日本国憲法第70条|憲法70条]])。 * 旧内閣は次の内閣総理大臣が任命されるまでは引き続きその職務を行う([[日本国憲法第71条|憲法71条]])。 * 内閣総理大臣に事故のあるとき、または内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が臨時に内閣総理大臣の職務を行う(内閣法9条)。 内閣総理大臣が外遊などの一時的な理由で国内で職務を行えない場合にも、この内閣法第9条に基づいて[[国務大臣]]の1人が[[内閣総理大臣臨時代理]]としてその職務を行う。以前は組閣時に内閣総理大臣臨時代理予定者に指名された国務大臣を[[副総理]]と呼ぶ慣行があったが、[[2000年]](平成12年)4月以降、組閣時に内閣総理大臣臨時代理の就任予定者5名を指定して官報に掲載するように方針が改められた。これにより、原則として[[内閣官房長官]]たる国務大臣が第1順位となった。 '''主任の大臣''' * [[内閣府]]の長は、内閣総理大臣とする([[内閣府設置法]]6条)。 内閣総理大臣は[[内閣府]]の[[主任の大臣]]であるが、自らを助けるものとして内閣府に[[特命担当大臣]]を置く事が出来る。内閣総理大臣はまた[[内閣官房]]と[[内閣法制局]]の主任の大臣でもあるが、こちらは[[内閣官房長官]]と[[内閣法制局長官]]が事務を統括している。 == 権限 == [[画像:5 7kiri01.png|right|150px|thumb|[[首相]]・[[政府]]の[[紋章]]、「五七の桐花紋」]] 日本国憲法およびその他の法令が規定する内閣総理大臣の権限は次の通り。 * 他の[[国務大臣]]を任命し、任意に罷免すること([[日本国憲法第68条|憲法68条]])。 * 在任中の国務大臣に対する訴追に同意すること([[日本国憲法第75条|憲法75条]])。 * 内閣を代表して議案を国会に提出すること([[日本国憲法第72条|憲法72条]])。 * 内閣を代表して一般国務及び[[外交]]関係について、国会に報告すること(憲法72条)。 * [[内閣]]を代表して行政各部を指揮監督すること(憲法72条)。 * 法律及び政令への連署をすること([[日本国憲法第74条|憲法74条]]、権限であると同時に義務でもある)。 * [[閣議]]を主宰すること(内閣法4条2項)。 * 内閣総理大臣及び主任の国務大臣の代理を指定すること(内閣法9条、10条)。 * 行政各部の処分又は命令を中止せしめ、内閣の処置を待つことができる(内閣法7条、「中止権」)。 * 緊急事態の布告を発すること([[警察法]]71条)。 * 布告時における警察の統制(警察法72条)。 * [[自衛隊]]の最高指揮監督権を有する([[自衛隊法]]7条)。 * 武力攻撃事態又はその発生が切迫していると認められるに至った事態に際して、自衛隊の全部又は一部に出動を命ずる(自衛隊法76条、「防衛出動」)。 * 間接侵略又はその他の緊急事態に際して、一般の警察力をもっては治安を維持することができないと認められる場合には、自衛隊の全部又は一部に出動を命ずる(自衛隊法78条、「命令による治安出動」)。 * [[防衛出動]]又は[[治安出動]]による自衛隊の全部又は一部に対する出動命令があった場合において、特別の必要があると認めるときは、[[海上保安庁]]の全部又は一部をその統制下に入れること(自衛隊法80条)。 * 武力攻撃事態等に至り、対処基本方針が定められたときは、内閣に設置される「武力攻撃事態対策本部」の対策本部長(内閣総理大臣をもって充てる場合)として、所要の権限を行う([[武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律|武力攻撃事態平和確保法]]14条)。 * 上記14条の総合調整に基づく所要の対処措置が実施されない場合、内閣総理大臣として[[地方公共団体]]の長等に対し、対処措置を実施すべきことを指示すること(武力攻撃事態平和確保法15条)。 * [[気象庁]]長官から[[地震予知]]情報の報告を受けた場合において、[[地震]]防災応急対策を実施する緊急の必要があると認めるときは、閣議にかけて、地震災害に関する警戒宣言を発する([[大規模地震対策特別措置法]]9条)。 * [[裁判所]]による行政処分等の執行停止に対して異議を申し述べる([[行政事件訴訟法]]27条)。 == 語源と呼称 == 「内閣総理大臣」は日本固有の官職名であり、外国の首相に対しては原則として使用しないことになっている。現在日本では、イギリスの指導者 (Prime Minister) もドイツの指導者も( Bundeskanzler,-kanzlerin 英: Federal Chancellor )も中国の指導者(国務院総理)も、みな一律に「首相」と呼んでいる。 [[画像:11 KatsuraT.jpg|150px|thumb|「ニコポン宰相」[[桂太郎]]]] [[画像:19 HaraT.jpg|150px|thumb|「平民宰相」[[原敬]]]] 内閣制度の設立にあたって、英国式の「プライムミニスター」の訳語をどうするかが問題となった。内閣制度が発足する前から伊藤や彼の側近だった[[伊東巳代治]]や[[金子堅太郎]]などは日記や防備録などに「首相」「宰相」という語を用いていた。しかし保守派の太政大臣・三條實美を納得させるためには、日本の指導者の呼称は[[大化の改新]]から連綿と続く「〜大臣」である必要があった。 内閣制度発足当時から内閣総理大臣のことは一般に「首相」と呼ばれた。それにならって「外務大臣」は「外相」、「大蔵大臣」は「蔵相」などと他の「大臣」も「相」と呼ばれるようになり、「[[枢密院議長]]」までもが「枢相」と呼ばれた。これはかつて「太政大臣」を「相国」、「左大臣」を「左府」、「[[内大臣]]」を「内府」などと縮めたのと似ている。 首相の「相」は、かつて[[中国]]で皇帝の下で政務を司った官職の「[[宰相]]」や「[[丞相]]」の「相」が語源。日本でも[[平安時代]]以降には太政大臣を「相国」または「大相国」と呼んでいたことがある。後に宰相が複数になると、その首席のものを「首相」または「首揆」と呼ぶこともあった。 == 逸話など == [[画像:Sanetomi Sanjo.jpg|150px|thumb|「最後の太政大臣」[[三條實美]]]] [[画像:HIH Prince Higashikuni Naruhiko.jpg|150px|thumb|「首相宮」[[東久邇宮稔彦王]]]] * 内閣制度移行に際し、誰もの関心は誰が初代総理になるかであった。衆目の一致するところは、太政大臣として名目上ながらも政府のトップに立っていた三條實美と、[[大久保利通]]の死後事実上の宰相として明治政府を切り回し内閣制度を作り上げた伊藤博文だった。しかし三條は[[藤原北家]]閑院流の嫡流で[[清華家]]のひとつ[[三条家|三條家]]の生まれという高貴な身分、[[公爵]]である。一方伊藤といえば貧農の出で武士になったのも[[明治維新|維新]]の直前という低い身分の出身、お手盛りで[[伯爵]]になってはいるもののその差は歴然としていた。太政大臣に代わる初代内閣総理大臣を決める宮中での会議では誰もが口をつぐんでいる中、伊藤の盟友であった[[井上馨]]は「これからの総理は赤電報 (外国電報) が読めなくてはだめだ」と口火を切り、これに[[山縣有朋]]が「そうすると伊藤君より他にはいないではないか」と賛成、これには三條を支持する保守派の参議も返す言葉がなく、あっさりこれで決まってしまった。初代総理を決めたのは英語力だったのである。 * 伊藤の内閣総理大臣就任にともない、三條は[[内大臣府|内大臣]]として宮中にまわり、天皇の側近として[[明治天皇]]を「常時輔弼」することになったが、そもそも[[内大臣府]]は三條処遇のために創られた名誉職で、その実は二階にあげて梯子を外したようなものだった。これにはさすがの明治天皇も気の毒に思ったのか、[[1889年]] (明治22年) [[10月25日]]に第2代内閣総理大臣の[[黒田清隆]]が[[条約改正]]をめぐる政局混乱の責任を取って内閣総辞職すると、天皇は黒田の辞表をのみ受理して他はすべて却下し、三條に内閣総理大臣を臨時兼任させた。臨時「代理」ではなく、「兼任」であり、しかも天皇が次の山縣有朋に組閣の大命を下したのはそれから二ヵ月も経ってからのことだったので、この二ヵ月間は一つの内閣が存在したものとして「三條暫定内閣」と呼ばれる。但しそれでも三條實美は歴代内閣総理大臣には数えないことになっている。 * 内閣総理大臣の[[叙位]]は[[従一位]]、[[正二位]]または[[従二位]]、[[叙勲]]は[[大勲位]]または[[桐花大綬章]]を受けるとされる。 * 歴代の内閣総理大臣には[[東京帝国大学]]出身の者が多いが、[[新制大学]]移行後の[[東京大学]]出身者はまだいない。 == 各種記録 == [[画像:Shigeru Yoshida.jpg|150px|thumb|right|「ワンマン」[[吉田茂]]]] [[画像:Eisaku Sato.jpg|150px|thumb|right|「政界の[[市川團十郎|團十郎]]」[[佐藤栄作|佐藤榮作]]]] [[画像:Takaaki Kato.jpg|150px|thumb|right|「[[三菱]]の[[番頭|大番頭]]」[[加藤高明]]]] [[画像:Okada Keisuke.jpg|150px|thumb|right|「古狸」[[岡田啓介]]]] [[画像:Korekiyo Takahashi.jpg|150px|thumb|right|「ダルマ蔵相」[[高橋是清]]]] [[画像:Konoe Humimaro.jpg|150px|thumb|right|「[[五摂家]]筆頭」[[近衛文麿]]]] [[画像:Tanaka 1973.jpg|150px|thumb|right|「今太閤」[[田中角栄|田中角榮]]]] '''在任''' * 最長在任数記録: [[桂太郎]] 2886日 : <small>第一次 1901年6月2日〜1906年1月7日、第二次 1908年7月14日〜1911年8月30日、第三次 1912年12月21日〜1913年2月20日</small> * 最長連続在任数記録: [[佐藤榮作]] 2798日 : <small>第一次〜三次 1964年11月9日〜1972年7月7日</small> * 最短在任数記録: [[東久邇宮稔彦王]] 54日 : <small>1945年8月17日〜10月9日</small> * 最年長在任記録: [[鈴木貫太郎]] 77歳8ヵ月 : <small>1945年8月17日の退任時。</small> * 最年少在任記録: [[伊藤博文]] 44歳3ヵ月 : <small>1885年12月22日の就任時。</small> * 最多回数任命(指名)記録: [[吉田茂]] 5回 : <small>1946年5月22日、1948年10月15日、1949年2月16日、1952年10月30日、1953年5月21日</small> '''病気''' * 病気により在任中死去した内閣総理大臣: [[加藤友三郎]]、[[加藤高明]]、[[大平正芳]] : <small>加藤友三郎は[[大腸癌]]を患っていた。[[青山]]の自邸で家族に看取られ静かに死去。</small> : <small>加藤高明は[[心臓麻痺]]による[[心不全|急性心不全]]。かねてより[[腎臓|慢性腎臓炎]]と心臓疾患があったが、[[国会議事堂|議会]]で突然病状が悪化し約六時間に後死亡。</small> : <small>大平は[[心筋梗塞]]による[[心不全|急性心不全]]。選挙運動中に[[過労]]と[[不整脈]]で倒れ[[虎の門病院]]入院。十二日後[[心筋梗塞]]を起こし死亡。</small> * 病気により執務不能となり退任、ほどなく死去した内閣総理大臣: [[小渕恵三]] : <small>[[脳梗塞]]。[[総理大臣官邸|首相官邸]]で発症、[[順天堂大学|順天堂医院]]に緊急入院するが昏睡状態となり退任。意識が戻らないまま約一ヵ月半後に死亡。</small> * 病気により退陣した内閣総理大臣: [[石橋湛山]]、[[池田勇人]]、[[安倍晋三]] : <small>石橋は[[肺炎|急性肺炎]]。風邪をこじらせ肺炎を起こした上、脳梗塞の兆候がある事も判明。「1ヵ月静養が必要」との診断を受けて即日退陣を表明。</small> : <small>池田は[[癌|喉頭癌]]。治療のため[[国立ガンセンター]]に入院したが、約1ヵ月半後に退陣を表明。九ヵ月後[[東京大学|東大病院]]で病部摘出手術を受けたが、術後まもなく肺炎により死亡。</small> '''テロ''' * テロにより在任中暗殺された内閣総理大臣: [[原敬]]、[[犬養毅]] : <small>原は[[東京駅]]の構内で[[大塚駅]]職員[[中岡艮一]]に胸を刺される。刃渡り五寸の短刀が肺と心臓を通し即死。</small> : <small>犬養は[[総理大臣官邸|首相官邸]]に乱入した武装青年将校に銃撃される。左頬と右こめかみに銃弾2発を被弾、出血多量で約5時間後に絶命([[五・一五事件]])</small> * テロに倒れた内閣総理大臣経験者: [[伊藤博文]]、[[濱口雄幸]]、[[高橋是清]]、[[齋藤實]] : <small>伊藤は[[満州]][[ハルビン]]駅の構内で[[韓国]]の[[民族主義]]運動家[[安重根]]に狙撃される。銃弾3発を被弾し約30分後に絶命。当時伊藤は[[枢密院議長]]。</small> : <small>濱口は[[東京駅]]の[[プラットホーム|ホーム]]で[[右翼団体]]に所属する[[佐郷屋留雄]]に狙撃される。銃弾1発が骨盤まで達する重傷だったが、4ヵ月後に病躯を押して登院、しかしこれで症状が悪化し、1ヵ月後に内閣総辞職、その4ヵ月後に死去。</small> : <small>高橋は[[赤坂 (東京都)|赤坂]]の自邸に乱入した武装青年将校により銃撃される。銃弾3発を被弾したうえ軍刀で刺し抜かれ即死。当時高橋は大蔵大臣([[二・二六事件]])</small> : <small>斎藤は[[四谷]]の自邸に乱入した武装青年将校により銃撃される。[[機関銃]]弾を40数発浴び即死。当時齋藤は[[内大臣]](二・二六事件)</small> * 存命にもかかわらず新聞に死亡記事が出た内閣総理大臣: [[岡田啓介]] : <small>[[総理大臣官邸|首相官邸]]に乱入した武装青年将校により岡田と容貌がよく似ていた義弟で秘書の[[松尾伝蔵]]が銃撃される。松尾を岡田と誤認した青年将校が総理死亡を発表(二・二六事件)</small> '''戦争責任''' * [[自殺]]した内閣総理大臣経験者: [[近衛文麿]] : <small>[[極東国際軍事裁判]]で起訴され、収監を前に自邸で[[青酸カリ]]を飲んで自殺。</small> * 自殺未遂した内閣総理大臣経験者: [[東條英機]] : <small>[[極東国際軍事裁判]]で起訴され、収監を前に自邸で[[拳銃]]で自らの心臓を撃つが失敗。</small> * [[法務死]]した内閣総理大臣経験者: [[東條英機]]、[[廣田弘毅]] : <small>[[極東国際軍事裁判]]で[[絞首刑]]判決。</small> * 獄死した内閣総理大臣経験者: [[小磯國昭]] : <small>[[極東国際軍事裁判]]で[[終身刑|終身禁固刑]]判決、のち獄中で病死。</small> '''疑獄''' * 逮捕収監され起訴された内閣総理大臣経験者: [[芦田均]]、[[田中角榮]] * [[裁判|公判]]で有罪判決を受けた内閣総理大臣経験者: [[田中角榮]] : <small>芦田は[[昭和電工事件|昭電疑獄]]で逮捕収監され起訴された。公判で無罪が確定。</small> : <small>田中は[[ロッキード事件]]で逮捕収監され起訴された。公判では[[地方裁判所|一審]]と[[高等裁判所|二審]]で有罪判決、[[上告審]]の審理途中で被告死去により[[公訴棄却]]。</small> * かつて逮捕収監され起訴されたことがある内閣総理大臣: [[田中角榮]]、[[福田赳夫]] : <small>田中は法務政務次官時代に[[炭鉱国管疑獄]]で逮捕収監され起訴された。公判で無罪が確定。</small> : <small>福田は[[大蔵省]]主計局長時代に[[昭和電工事件|昭電疑獄]]で逮捕収監され起訴された。公判で無罪が確定。</small> * かつて逮捕許諾請求が出されたことがある内閣総理大臣: [[佐藤榮作]] : <small>[[自由党]][[幹事長]]時代に[[造船疑獄]]で東京地検が逮捕許諾請求を出したが、[[法相]]が[[検察官#法務大臣の指揮権|指揮権を発動]]して逮捕を見送らせた。</small> '''経歴''' * かつて[[大審院長]]だった内閣総理大臣: [[平沼騏一郎]] * かつて[[貴族院議長]]だった内閣総理大臣: [[伊藤博文]]、[[近衛文麿]] * 後に[[貴族院議長]]になった内閣総理大臣経験者: [[伊藤博文]] : <small>一期目の内閣総理大臣を辞した後に貴族院議長となり、その後また内閣総理大臣に任じられている。</small> * 後に[[衆議院議長]]になった内閣総理大臣経験者: [[幣原喜重郎]] * かつて[[内大臣府|内大臣]]だった内閣総理大臣: [[桂太郎]] : <small>ニ期目の内閣総理大臣を辞した後に内大臣となり、その後また内閣総理大臣に任じられている。</small> * かつて[[侍従長]]だった内閣総理大臣: [[鈴木貫太郎]] '''出自''' * 皇族の内閣総理大臣: [[東久邇宮稔彦王]] * 子孫が皇族になった内閣総理大臣: [[吉田茂]] : <small>[[寛仁親王妃信子|三笠宮寛仁親王妃信子]]は孫。</small> * 旧公家の内閣総理大臣 [[西園寺公望]]、[[近衛文麿]] : <small>西園寺は[[藤原北家]][[閑院流]]で[[清華家]]の[[西園寺家]]当主。</small> : <small>近衛は[[五摂家]]筆頭の[[近衛家]]当主。</small> * 旧大名家の内閣総理大臣 [[細川護熙]] : <small>[[肥後]][[熊本藩]]五十四万石[[細川氏|細川家]]当主。</small> * 初の平民内閣総理大臣 [[原敬]] : <small>但しこれは本人がかたくなに[[受爵]]を断り続けたため。原の祖父は陸奥盛岡藩二十万石南部家の家老職にあった上級士族。</small> '''閨閥''' * 親族、近親に内閣総理大臣経験者がいる内閣総理大臣 : [[岸信介]]と[[佐藤榮作]]: 兄弟 : [[岸信介]]と[[安倍晋三]]: 祖父と孫 : [[近衛文麿]]と[[細川護熙]]: 祖父と孫 : [[加藤高明]]と[[幣原喜重郎]]: 妻が姉妹 : [[福田赳夫]]と[[福田康夫]]: 父と長男 : [[吉田茂]]と[[麻生太郎]]:祖父と孫 '''栄誉''' * [[ノーベル賞]]を受賞した内閣総理大臣経験者: [[佐藤榮作]] : <small>[[非核三原則]]の提唱が評価され[[1974年]][[ノーベル平和賞]]を受賞。</small> == 辞令の書式 == * 辞令は縦書きで、発令年月日は[[和暦]]、数字は[[漢数字]]での記載となる。漢数字には壱・拾などの[[大字 (数字)|大字]]は用いられず、また、十の位は簡略化せずに記載される (例:「一七年」でなく「十七年」、「二一日」でなく「二十一日」)。 * 国会の指名奏上 国会は衆議院議員○○君を 内閣総理大臣に指名いたし ました。 よってここに奏上いたしま す。 平成○年○月○日 衆議院議長 (自署) 衆議院事務総長 (自署) * 内閣総理大臣任命の助言と認証 日本国憲法第六条第一項に 依り○○を内閣総理大臣に 任命するについて 右謹んで裁可を仰ぎま す。 平成○年○月○日 内閣総理大臣 氏 名 裁可を表すため、この書面に天皇はみずから「可」の文字の印章を押印する。 * 任命の辞令 (官記) (※「任命する」の後に「。」は付されない) 氏 名 (新内閣総理大臣) 内閣総理大臣に任命する 御名御璽 平成○年○月○日 内閣総理大臣 (自署) (前内閣総理大臣) == 外国における「内閣総理大臣」 == かつて[[韓国]]と[[中国]]にも「内閣総理大臣」という名称の役職が存在した。 # 旧[[大韓帝国]]の[[首相]]の名称。 # 旧[[清|清帝国]]の[[首相]]の名称。[[立憲君主制]]を志向した[[1908年]]の憲法大綱に基づき、[[1910年]]に西欧的な内閣制度を整備した。初代首相は[[慶親王]]、二代首相は[[袁世凱]]。 == 関連項目 == * [[内閣総理大臣の一覧]] * [[日本国歴代内閣]] * [[内閣総理大臣指名選挙]] * [[総理大臣官邸]] * [[日本の政党一覧]] * [[内閣総理大臣杯]] * [[内閣総理大臣秘書官]] * [[内閣総理大臣補佐官]] == 外部リンク == * [http://www.kantei.go.jp/ 首相官邸] * [http://www.cao.go.jp/ 内閣府] [[Category:日本の行政|ないかくそうりたいしん]] [[Category:政治家|ないかくそうりたいしん]] [[Category:公務員|ないかくそうりたいしん]] [[Category:日本の国務大臣|ないかくそうりたいしん]] [[Category:日本の内閣総理大臣|*]]