ダニエル・エリクール

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ダニエル・エリクール(Daniel Éricourt, 1903年12月12日 - 1998年6月21日[1]は、フランス出身のピアノ奏者。[2][3]

セーヌ=エ=マルヌ県ジョシニーの出身。幼少時にパリに移住し、6歳の頃から2年ほどマリー=ルイーゼ=ジャンヌ・ヴァドゥレル[4]にピアノを学ぶ。8歳の頃よりジャン・ロジェ=デュカス[5]のレッスンを受け、1913年にパリ音楽院に入学。音楽院では、サンティアゴ・リエラにピアノを学んだ。1916年には師のロジェ=デュカスの伝手でクロード・ドビュッシーと知り合い、ドビュッシーが自作のチェロ・ソナタの初演でピアノ・パートを弾いた時、その譜めくり役を務めた。[6]また、ドビュッシーの娘クロード=エンマと仲良くなる等、ドビュッシー家と家族同然の交流を持った。[7]1920年にピアノでプルミエ・プリを取得して卒業した後も、ロジェ=デュカスやリエラの許で研鑽を積んだが、ナディア・ブーランジェにも和声を師事するようになった。1923年には、ブーランジェの生徒であったアーロン・コープランドのピアノの為のパッサカリアを初演。その年の冬に軍務についたが、猩紅熱に罹患して直ぐに陸軍を除隊。1924年にはパリ音楽院のプルミエ・プリ取得者を対象にしたディエメ賞に挑戦して賞を獲得し、ピアノ奏者としての活動を本格化させ、ジョルジェ・エネスクと共演。また、この頃から舞踏家のイサドラ・ダンカンの知己を得た。1926年にはアメリカに渡り、シンシナティ音楽院で教鞭を執った。1928年にヨーロッパへの演奏旅行、1930年にニューヨークでの初演奏をそれぞれ成功させて、ピアノ奏者としての国際的な名声を得たが、1934年には演奏活動に専念するために音楽院を退職。1942年には南米大陸に演奏旅行に出かけ、1945年にはカーネギー・ホールに初登場した。1957年から1963年までピーボディ音楽院で教鞭を執り、1959年から1962年までスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラで夏期講習を行った。1963年から1976年までノースカロライナ大学グリーンズボロ校に奉職。1979年には同校より名誉教授の称号を贈られた。また、1979年から1981年までバーミンハム・サザン・カレッジの客員教授を務める。

ノースカロライナ州グリーンズボロにて没。

脚注

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