飯塚事件

提供: Yourpedia
2022年9月24日 (土) 19:37時点におけるIidutu (トーク | 投稿記録)による版 (警察・検察による証拠捏造だ!とメディアが騒いでいる内容は、結局メディア自身が重要な事実を隠蔽・捏造して創作している件)

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飯塚事件(いいづかじけん)とは、1992年久間三千年女児2人を殺害し、死刑となった事件。完全にクロといえる証拠があるのだが、一部マスコミが、無実の人間に死刑を執行したのか!?と騒げば売れるため、裁判で認められた事実を隠蔽・捏造してあたかも証拠が怪しいかのように偏向報道したことで、被害者遺族に言われ無き二次被害を与えている。つまりメディアやジャーナリストが食い扶持を稼ぐために、捜査関係者、司法関係者、証人、被害者遺族らが犠牲にされているのである(本当に冤罪を疑っているのなら、なぜ裁判で認められた証拠を隠蔽して報道するのだろうか)。

この報道がどれだけ酷いかに関しては、飯塚事件(Enpedia)を参照。メディアリテラシーを測定するにはうってつけの事件であり、ジャーナリズムとは何かを考えさせられる。

この事件の冤罪派は以下のように大別できる。

  • 報道を信じてしまった人(これはさらに2つに分かれ、その後きちんと判決やまとめを読んで修正できる人と、ジャーナリストを信じ切っており、冤罪ではない根拠を説明されても「捜査関係者乙」「司法関係者乙」と言って話を聞こうとせず、判決で認められかつ報道が隠蔽している重要な証拠の存在を認めない人、に分かれる。後者が全冤罪派の中でいちばんタチが悪い)
  • 本心は冤罪だとは思っていないが冤罪報道を利用したい死刑反対論者(付属池田小事件の宅間守ですら、死刑反対論者が獄中結婚して宅間を支援したのである。このように、死刑反対論者には手段を選ばない人が割といる)
  • 何でも陰謀にしたがる陰謀論者(秋葉原通り魔事件のように現行犯逮捕の事案ですら替え玉説を主張する人がいるので、こういうのは放置でよい)

残念ながら、冤罪派の中に、挙がった証拠や判決文を自ら検討した上で冤罪だと信じる人(まともな冤罪派)はいないと言ってよい。だいたい、本事件は、日本弁護士連合会が支援する再審事件に含まれておらず、つまりあの死刑廃止論を主張する日弁連ですら支援していない事件であることからして察するべきである

事件の概要

1992年2月20日、福岡県飯塚市潤野地区の小学1年生の2人の女児が登校中に行方不明になり、翌日に山中で共に性的暴行を受けたと見られる状態で殺害・遺棄されているのが発見された。

福岡県警は、1988年の女児行方不明事件で最終目撃者となっていた久間三千年(54歳)を事情聴取。2女児殺害に関しては、犯人と久間のDNA型がほぼ一致するという鑑定結果が出たもののそれだけでは逮捕に至らず[1]、繊維片の一致が決め手となって[2]、死体遺棄容疑で久間を逮捕。同10月14日に殺人等で久間を再逮捕。

足利事件で当時のDNA鑑定が否定されたため、マスコミではやたらこの事件でもDNAが最大の決め手になったように捏造報道しているが、逮捕の経緯から見ても、DNAが最大の決め手になったというのは明らかな捏造である

判決文・決定文のリンク

以下、判決文と決定文のリンクを示す。冤罪派は読まないので議論がかみ合わない。
第一審判決第二審判決最高裁判決再審請求第一審決定再審請求第二審決定再審請求最高裁決定

裁判で認められた客観的事実

①被害者の衣服に着いていた繊維片と久間の車シートの繊維片の特徴が一致。
②被害者の膣内に犯人の血痕が存在しており、被害者の下着には血痕がついていないため手指からの出血ではなく(第1審判決)、唾液も検出されていないから口腔内の出血でもなく(第2審判決)、犯人の陰茎からの出血といえるところ、久間が亀頭包皮炎に罹患しており陰茎から出血する症状を有していた。←一般紙やニュースはもちろん、冤罪誘導報道では絶対に報道されない証拠。
③久間は、当初自分は亀頭包皮炎で性的に困難だからやっていない旨を主張していたにも拘わらず、犯人の陰茎出血が明らかになった公判段階では、突然完治していたと供述を変更。上記証拠が報道されないため、これも当然報道されない
④久間と妻は、病状を否定するために、某薬局でフルコートFを買ったことはないと主張するも、店主と店員が久間を常連客として覚えて、しかも強力な皮膚薬だったからはっきり覚えていた。上記証拠が報道されないため、これも当然報道されない
⑤久間の車内からかなりの人尿痕と血痕が発見。
⑥久間の妻は、自動車内で自分や息子が尿をもらしたことはないと捜査員に言っていたにも拘わらず、車に尿痕が残っていたことが明らかになった公判段階では、突如わかりませんと供述を変更。
⑦遺品遺棄現場のT氏の目撃証言と久間の車(紺色・ダブルタイヤのワゴン)の特徴が一致。
⑧久間側はT氏の証言は警察に誘導されたものだと主張したが、T氏は職場で遺体発見のニュースを聞いて同僚J氏に不審車両の話をしていたところ、このJ氏も裁判で証人として呼ばれ、事件翌日の会話でT氏から聞いた不審車両の特徴と、T氏が捜査機関や裁判で証言した内容は一致している、と証言←冤罪誘導報道では絶対に報道されない証拠。Tさんの証言が怪しい怪しいという報道をしているくせに、Tさんの証言の正確性を担保する極めて重要な証拠であるこのJ証言は一切報道しない。
⑨D氏とV氏が、遅刻していた女児2人を見落とすはずがない狭い道を通りながらも約3分差で女児2名を見ていると見ていないとの証言をするという被害女児が最後に目撃された場所において、X氏とW氏は、D氏とV氏とは反対方向に進んで車両を止めたところでD氏とV氏と見られる車の他に、久間が乗っていたのと同じ紺色・ダブルタイヤのワゴン車を見たと証言←誘拐現場直近の目撃証言であるにもかかわらず、冤罪誘導報道では小学校付近の軽い証言と捏造報道され、その具体的な状況・内容が隠蔽されている目撃証言
⑩久間のDNA(HLADQα型)が犯人の物と一致。
⑪被害者の膣内や周辺にあった血痕の血液型と久間の血液型がB型で一致。
⑫被害者の膣内や周辺にあった血痕と久間のDNA(MCT118型)が一致。←冤罪派が難癖を付けているDNA型鑑定
⑬久間の車内にあった血痕のDNA(TH01型・PM型)が被害者の一人(鼻血を出していた方)のものと一致。←冤罪派が難癖を付けているMCT118型の後に開発され、2万3000人に1人の精度[3]で鑑定できるのであるが、当然冤罪誘導報道はそのことに触れない。正直、この証拠だけでも久間を有罪にしてもよいレベルであるが、メディアとしてはこれに触れると商売あがったりになるので触れない。
⑭なぜか久間は事件後、車のシートを外して水をかけて洗浄(おかげで、車内の血痕からMCT118型は検出されず、TH01型・PM型鑑定の成立を待たねばならなかった)。←冤罪誘導報道では絶対に報道されない事実。
⑮事件があった時間帯、妻を送ったあと母親に米を届けに行っていたという久間の主張は裏付けが全くない。
⑯「事件当日は妻を送ったあと母親に米を届けに行っていた」という久間の主張するアリバイについて、妻は捜査段階では日付は曖昧だったのに、公判段階では日付を明確に主張。
⑰久間も、捜査段階では、妻を送った後一回帰宅した後に母親宅に行った、と言っていたので捜査員が久間の証言に基づいて走行してみると犯行時間帯にちょうど現場を通ることが判明。
⑱すると、久間は公判段階では、妻を送った後直接母親宅に行った、とアリバイの主張を変更。
⑲しかも、そのように供述を変更した契機や時期も、捜査段階と公判段階で変更。
⑳弁護士が、犯人は情性欠如型の性格異常者と想定されるのに対して久間は性格異常者とは認め難いから犯人ではないと主張して性格分析を依頼するも、鑑定人は、久間が情性欠如型の性格異常者であるとして、犯罪を犯す本来的な傾向を十分もっていると認定。

警察・検察による証拠捏造だ!とメディアが騒いでいる内容は、結局メディア自身が重要な事実を隠蔽・捏造して創作している件

  • DNA型を写した写真が切り取られていた!検察による捏造だ!

ネガ全体が証拠として提出されていて、そのネガを見ながら証人尋問しています(再審請求審第1審)。切り取っていたのは、どこに犯人のDNA型が写っているか説明している文書にすぎず、それを切り取っただの何だの揚げ足取りをしているに過ぎません。その事実をメディアが隠蔽しているだけです。

  • 目撃者Tの目撃証言は詳しすぎる!警察による誘導だ!

Tさんから事件翌日に不審車両の話を聞いた同僚のJさんが、裁判に証人として出廷し、そのときに聞いた不審車両の話とTさんの目撃車両の証言は一致していると証言しています。その事実をメディアが隠蔽しているだけです。

  • 久間車から1年後に女児の血痕が検出された。警察による捏造だ!

その血痕が出た部分は、繊維鑑定で東レが預かっていた部分で、東レは最初からシミがあったと言っています。その事実をメディアが隠蔽しているだけです。

  • DNA型判定は100回は出来たと法医学者が言っている。再鑑定できないのは警察が意図的に廃棄したからだ!

その法医学者がそんなことを述べた事実はありません。弁護士も出典を示せません。つまり、弁護士による創作です。

  • 久間の死刑執行スピードが異例すぎる。隠滅のために処刑されたんだ!

当時は死刑執行数が多かったため、残された死刑囚の執行までのスピードは2年代が普通です。スピード執行というのはメディアによる捏造です。

なぜマスコミは冤罪に誘導するのか

  • 『無実なのに死刑執行!』というキャプションなら視聴者や読者を引き付けやすいから。実際、ザ・スクープSPは、冒頭から「国家権力は 無実の男性を 殺してしまったのか!?」という巨大なテロップとナレーションでスタートしている。
  • 無罪が確定した事件に対して「これは有罪だ」という方向に誘導する報道の場合、その無罪確定者に対する人権侵害となり、損害賠償沙汰はもちろん、放送免許剥奪レベルの大騒動になりかねない。逆に、有罪が確定した事件に対して「これは無罪だ」という方向に誘導する報道は、報道の中立性という点では悪質でも表現の自由・報道の自由がある以上、国からも文句を言われない(仮に文句を言われた場合、“国家を批判したら国家から言論弾圧を受けた!”と騒げる)。要するに冤罪に誘導するのなら、捏造・偏向報道を垂れ流しても誰も責任を取らなくていいから
  • 調べた結果やっぱり冤罪ではないという結論で締めくくると、番組として面白くもなんともなく、調べたことが無駄になってしまうから。
  • 弁護士の意見に沿って展開すればいいので、番組制作としても楽だから。現に、以下のように、弁護士の出版した著作『死刑執行された冤罪・飯塚事件: 久間三千年さんの無罪を求める』で触れていない証拠のほとんどに、各メディアも触れていないのである
弁護士の著作とメディアが触れない重要な証拠
裁判で認められた証拠 弁護士著書 テレビ朝日
ザ・スクー
プSP
09.8.9
日本テレビ
NEWS
ZERO
13.4.11
日本テレビ
news
every.
13.4.13
日本テレビ
NNNドキュ
メント'13
13.7.28
日本テレビ
NNNドキュ
メント'17
17.9.3
福岡放送
めんたい
ワイド
22.2~3月
公式動画
福岡放送
目撃者f
22.3.27
公式動画
NHK
BS1
正義の行方
22.4.23
目撃者Tの証言を裏付けるJ証言 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない
誘拐現場で車を見たW証言・X証言 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない ごく僅か* 触れた**
被害者膣内の血と久間の亀頭包皮炎 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない
久間車血痕と新しいDNA型鑑定 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない 触れない

*裁判で有罪とされた証拠として、4分40秒「女児不明現場でも同様の証言があり」という部分だけ。具体的な内容には一切触れていない。
**触れたには触れたが、T証言とは対照的に、どのような証言をしたのか(一緒にいたXさんが車に轢かれそうになったと言ったため、走り去っていく同車を見たというもの)について全く触れず、ただ「目撃証人は事件から5か月後に詳細な車の特徴を証言していた」という扱いをし、さらに遺体発見後間もなく女児について警察から聴取を受けたことにも触れていない。そのため、あたかも事件から5か月も経って急に詳細な目撃証言をしたかのように印象付けをしている(この文脈においていかなる理由で「5か月後」という点に触れる必要があったのだろうか。やはり最初から冤罪に誘導するつもりなんだろう)。

どの点が捏造・偏向か

これは飯塚事件(Enpedia)で記述してある。多すぎてここでは書き切れないが、概ね

  • DNA型鑑定の精度が低い
  • 遺留品発見現場でのT氏の目撃証言が疑わしい

という2点だけを、しかも偏向して報道しているため、ツッコミどころが満載である。特に、Tさんが目撃翌日に職場で遺体発見のニュースを聞いて同僚Jさんに不審車両の話をしており、そのJさんも裁判で証人として呼ばれ、そのときに聞いた車両の特徴とTさんの目撃証言は一致していると証言したことには意地でも触れないのである。なぜなら、この証言に触れると、やっぱり久間はクロでしょうと言われてしまうからで、メディアとしては商売あがったりだからである。

清水の本から冤罪を感じていた死刑反対論者の元裁判官が冤罪を主張しなくなったワケ

メディアによる捏造・偏向報道については、清水潔の著書『殺人犯はそこにいる』(2013年)を読んだ瀬木比呂志元裁判官の記述の変化が興味深い。

2015年の瀬木の単著と2016年の瀬木の記事

当初の2015年の瀬木の著書(瀬木比呂志『ニッポンの裁判』(講談社))では、清水の著書から冤罪の可能性を感じ取っている記述が登場する(「この本を読んで真に慄然とした」「もしもこの人物が無罪であったなら、国家は、この人物の生命と名誉を文字通り奪い去ったことになる」「同書第10章に記された、飯塚事件における情況証拠の中でことに重要なものと考えられる車両目撃証言の著者による再検証の結果、鑑定写真に工作が加えられた可能性に関する記述、中心となった弁護士の……言葉は、そのような致命的な誤りの可能性を示唆している」(82-83頁))。

また、2016年の雑誌記事において、死刑制度に反対する理由として死刑は冤罪時に取り返しがつかない点を挙げる際も、すでに再審無罪が確定した4つの事件と並んで、すでに執行されたとして飯塚事件に言及しているのである[4]。そこでも、「もしもこの人物が無罪であったなら、国家は、この人物の生命と名誉を文字通り奪い去ったことになる。これは、国家が絶対にしてはならないことの筆頭に挙げられるべき事柄である。/なお、久間氏の死刑執行後に行われた再審請求については、福岡地裁2014年(平成26年)3月31日(平塚浩司裁判長)が棄却の決定をしている。この決定についての疑問をも含め飯塚事件についてまとめ直した清水氏の文章が「新潮45」2014年7月号108頁以下に掲載されている。」として、清水に多くを拠っていることが分かる。

2017年の清水と瀬木の対談本

ところがその後、清水と瀬木の2017年対談本(瀬木比呂志・清水潔『裁判所の正体』(新潮社))において、瀬木は、飯塚事件の判決文を読んだ(203頁)と言って、その主張が露骨にトーンダウンしているのである。つまり、この対談は、清水が希望して実現した(2頁)ということで、瀬木は、自分を招待してくれた清水の顔を立てるかのように、「目撃というのは、……一般論として非常にいい加減なものだということが言えます。」(206頁)だとか、「アメリカの陪審員裁判だったらこれで有罪は難しいんじゃないかって、僕は思いますね。DNA型鑑定を除外した証拠では。」(206頁)と一応は同調している。しかし、結局それは一般論だとかアメリカの一般人なら云々でとどまっているわけであり、前著のような冤罪の可能性を感じ取っているような言及がまるで無くなっているのである(わざわざアメリカを持ち出してくるところに苦しさが現れている。つまり、仮定で話をするのなら、まずは今の日本の裁判員裁判だったらどうなるかを述べるのが自然である。しかし、裁判のルールや文化がまるで違うアメリカの陪審員の話を持ってきたのは、仮に日本の裁判員裁判ならDNAがなくても結局有罪になると思っているからなのだろう)。

2021年の瀬木の単著

さらに決定的なのは、瀬木の2021年単著(瀬木比呂志『檻の中の裁判官』(KADOKAWA))であり、飯塚事件に関する記述は死刑執行のタイミングを疑問視する部分だけになっており(184頁)、司法の判断に関する言及そのものが全く存在しなくなっている。何気にこれは注目すべきことで、書名は司法に対する批判を書く本なのに、そして現に袴田事件(135-144頁)と恵庭OL殺害事件(144頁)と大崎事件(149-150頁)については冤罪の立場に立って司法の判断を批判しているのに、飯塚事件については執行という行政に対する批判だけで、司法に対する批判どころか司法の判断に関する記述すら皆無なのである。しかも袴田事件はDNA型判定に対する再審請求審の判断に疑問を呈しているのに、飯塚事件ではジャーナリスト共が騒いでいたDNA型判定にすら一切言及がないのである。

さらに、同著で死刑制度に反対する理由部分は、上記2016年記事をそのまま利用して単行本化したものである。ところが、2016年記事とは異なり、死刑は冤罪時に取り返しがつかない点を挙げる際(202-203頁)、そこで言及するのはすでに再審無罪が確定した4つの事件と袴田事件(すべて死刑未執行)だけであり、忽然と飯塚事件の記述が消えているのであるのである(仮に冤罪だと思っているのなら、死刑執行済みという点でここで言及するには最適であるにもかかわらず)。

まとめ

この瀬木の態度の変化からは、判決文を読んで清水が隠蔽する証拠を知ったことで、もう冤罪だと思わなくなったということが分かる。瀬木は、その著書を見ても分かるように、とにかく現在の日本の裁判所や判決に批判的なのである。その瀬木をもってしても、飯塚事件については、判決文を読んだらもう冤罪を主張しなくなるのである。この事件を冤罪に誘導したい清水としては、元裁判官である瀬木の2015年著書や2016年記事を読んで百万の味方を得た思いで対談を実現したのかもしれないが、この変化を見る限り、飯塚事件において瀬木はもはや味方ではないのである。瀬木は、裁判所の闇を暴く本を書く過程で飯塚事件を知ったのだろうが、むしろ飯塚事件を調べるにつれ、逆にジャーナリストの卑怯なやり方を知ったのではないだろうか。

冤罪派の正体

捜査機関や司法は疑うくせにジャーナリストは100%信じる自称「知性派」の人たち

以上のように、このような冤罪誘導報道は、おおむねマスコミの報道をすぐに信じてしまう知的水準の人たちに大いに歓迎され、彼らを冤罪派に仕立てあげた。

彼らは、例えばこのスレッドで登場するID:LAhYQiHt0(7月8日ID)及び569raQtK0(7月9日ID)に典型的に見られるように、Tさんの目撃証言の正確性を裏付ける証言したJさんの話をしても、その証言は間違っていると言ってJさんの存在に全く触れていない厳島論文のリンクを貼る(レス396)など、そもそも証人の区別がついていないのである。このように冤罪派はJ証言の存在があることすら理解できないなど、ジャーナリストが裁判で認められた重要な証拠を隠蔽して報道しているなんて想像できないのである。

しかも、この冤罪派は清水潔の話をなぜ信じているのか聞かれると「他の本も併せて読んで、これが真実以外にありえないと思ったから」(レス346)と言い切っているくせに、清水の本を持っていない(レス402)という有り様で、しかも清水は当該著書で日本テレビの制作スタッフであるということに散々触れているのに、この冤罪派は「TBSだったかの報道特集で見た」(レス393)と、そもそも清水の所属先すら知らないのである。おそらく、立ち読み程度の流し読みとテレビを受け身で見ただけで内容を信じ切ってしまったのだろう。

何とも情けないのは、この冤罪派は、「本を読まない反知性派の人とは会話が成り立たないわ」(レス315、338)「君が本を読んでないから、『書いてあった』と言われても、『いや、そこを僕はこう読んだよ』とか『僕が読んだ本にはこう書いてあったよ』とか、話が進みようがないんだわ」(レス317)などと、自分は清水本を読んでいる知性派であるかのように吹聴し、清水本の問題点を指摘する者に対して「持っているなら、176ページの3行目になんて書いてある」(レス396)などと、本当に清水本を持っているのか散々疑ってかかっているのである。そこまで言っておきながら、逆に自分が清水本に何て書いてあったか質問されると、清水の本を持っていない(レス402)しかも本は実家にあるという子供のような言い訳(レス404)、というオチなのである

基本的に、こういう人たちに冤罪説が支持されているのである。

Yahoo!知恵袋に張り付いている「シャドウ」という冤罪派

Yahoo!知恵袋では、シャドウという冤罪派が張り付いて飯塚事件に関する質問が出るたびにコピペ回答をしている。コピペ回答の内容は、「警察は新しい検査法での再検査を拒んでいます」という全く虚偽の内容である。この人物も同類である。

youtubeに張り付いている「山田五郎」という冤罪派

youtubeでは、山田五郎というハンドル名の冤罪派がお馴染みであり、毎回毎回ジャーナリストを100%信用しているコメントばかりしており、会話を噛み合わせようとしない。

1988年の女児行方不明事件における冤罪派

本事件以前の事件現場周辺では、1988年12月4日に本件被害者と同一小学校で小学校1年生の女児が、弟の友人(久間の息子)を訪ねて久間宅に遊びに行ったのを最後に行方不明になる事件が発生(愛子ちゃん行方不明事件)[5][6]。本件で逮捕後の久間をポリグラフにかけた際に反応の出た山林一帯を捜索した結果、女児のジャンパーとトレーナーが発見された[5]。久間は事件当日に女児と会っていた事は認めたが、行方については知らないとした。その後はさらなる発見がなく1995年2月18日に再捜索は打ち切られ、現在も未解決である。

困ったことに、冤罪派は、そのときに見つかったジャンパーやトレーナーが妙に新しかったので、これは警察による証拠捏造であると主張している。しかし、仮に不自然にそれらの衣服が新しかったとしても、この度の2女児殺害事件により家宅捜索を恐れた犯人が、隠し持っていたこれらの衣服を慌てて捨てたと考えればもっとも整合する(愛子ちゃんの行方不明に事件性が認められていない以上、2女児殺害事件までは家宅捜索される可能性もなく、自宅等に隠し持っていたと考えるのがやはり整合する)のであり、そこに何ら不審な点はない。仮に冤罪派の主張を採るとすれば、そもそも事件か事故かすら分かっていない行方不明の事案において、なぜ警察が密かに行方不明女児の衣服を隠し持っていたか説明できない

さらに、それでもめげない冤罪派は、ジャンパーやトレーナーは2女児殺害事件後に警察が購入したものだとか主張しているようだが、そんなバレバレな捏造が通用するはずないことが分からないのだろうか。まして、仮に警察が購入した捏造証拠であるならば、もし今後愛子ちゃんが遺体とかで誰かに発見されたときにトレーナーやジャンパーを遺体が着ていたら、久間事情聴取中に見つかったジャンパーとトレーナーは警察による捏造だということが簡単に発覚してしまう。そんなリスクを負ってまで、立件に至らないような愛子ちゃんの証拠を捏造したとでもいうのだろうか。

参照元

  1. 日本経済新聞1994年9月24日
  2. 毎日新聞1994年9月24日
  3. https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu/55/8/55_559/_pdf
  4. https://webronza.asahi.com/national/articles/2016030900002.html
  5. 5.0 5.1 読売新聞西部1995年1月3日
  6. 朝日新聞1994年11月11日夕刊